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語り継がれるHUBC:01
選手を支えたバックマン

記念すべき第1回は、御年100歳を迎えました近藤勝重さんです。近藤さんは現在も艇庫に足を運び、ボート部を応援してくださっています。

・プロフィール
・大学でボートをやるようになったきっかけ(クラチャン)
・当時のボート部
・近藤さんのボート部での活動
・ボート部時代の思い出
・ボート以外の学生生活・会社勤め
・健康の秘訣
・引退してからのボート部

近藤勝重さんプロフィール

氏名 近藤勝重(こんどうかつしげ)
生年月日 1914年(大正3年)3月26日
出身高校 東京高等師範付属中
予科入学年 1932年(昭和7年)
本科卒業年 1938(昭和13年)=当時は予科3年本科3年制
ゼミ 吉田良三ゼミ経理、会計学
HCS C組
勤務先 三菱鉱業→大日電線(現三菱電線工業)

大学でボートをやるようになったきっかけ(クラチャン)

 HCSという組み分けは当時からあり、当時はボート部に入っているいないにかかわらず、クラスごとにHCSが決まっていた。クラチャンはその組から何人か代表を出して、組対抗で競うイベントであった。高師付中時代も開成中とのボートの定期戦などでボートに触れていたため、代表選手になりたかったが、背が小さかったため選ばれなかった。 だが1人来られなくなったため出られることになった。クラチャンで使用したのは固定席艇という6人乗りの船で、シートがスライドせず、オールが重く、ナックルより遅かった。おそらく800m位の距離だったのではないか。クラチャンは一年生のみ参加し、春と秋の年に2回開催された。クラチャン前の1か月ほど、放課後毎日練習した。

当時のボート部

 春のクラチャンが終わって、そのままボートを漕ぎたい人が残ってボート部になる。当時部員は60~70人くらいいて、当時の一橋の中でも大きい団体であった。9月にレースがあり、それに向けて夏ごろから向島の艇庫で合宿生活をする。練習をするのは主に平日で、午前中(9時か10時ごろ)と午後の一日2回それぞれ1時間ほど練習する。練習場所は主に隅田川で、荒川放水路を使うこともあった。乗艇がメインで、陸上で漕ぎの動きを練習することもあった。艇庫には食堂があり、学校の食堂の人を雇って食事を作ってもらっていた。また当時は大学にも女性がおらず、そのためもちろんボート部にも女性はいなかった。当時マネージャーというのは対校クルーにつき一人いたくらいで、その仕事も雑用が主であった。コーチなどはおらず、先輩に漕ぎを教わっていた。

近藤さんのボート部での活動

 予科1年から2年の間は第2選手として漕いで活躍していた。だが体格にあまり恵まれていなかったため、漕ぐことをあきらめ、バックマンとなった。バックマンとは会計幹事の補佐的な役割を務め、OBや如水会員を回って寄付を募る仕事である。バックマンは3、4人おり、自分は先輩に頼まれてバックマンになった。夏休みごろ、丸の内などのオフィスを回り寄付を募った。多い日で30円くらい集まった。(当時の1円は今の1000円ほど) バックマンのもう一つの仕事としてはスパイ活動がある。隅田川の上流で他大のタイムやピッチを測った。他大はあまりやっていなかったが、一橋は人数が多かったためやっていた。当時は一橋、東大、慶応、早稲田が強く、日大は少し強い程度であった。

ボート部時代の思い出

 気が合う仲間ばかりで毎日が本当に楽しかった。自分がボート部を背負っているのだという気概があったし、漕手もバックマンも対等な関係であったから、漕げなくて悔しいという気持ちもなかったし、辞めたいとも思わなかった。ボート部で飲むのはレースのあとくらいで、当時は負けが込んでいて先輩が来てくれず悲しかった。

ボート以外の学生生活・会社勤め

 経理の吉田良三ゼミだった。ただ学業よりもボート中心の大学生活であった。卒業後は三菱鉱業に勤めたが結核となりあまり仕事ができなかった。終戦のときに三菱鉱業をクビになってしまうが、ボートのつてで、大日電線(現三菱電線工業)で退職まで働いた。バックマン時代に会社の偉い方に会うことに慣れていたので会社の面接のときも物怖じしなかったのかもしれない。

健康の秘訣

 これといって何がいいのかはわからない。毎日同じような生活をしているのがいいのかもしれない。毎食基本的には和食で、朝7時に起きて、夜11時に寝る生活をしている。結核以外はほとんど病気をしたことがない。




引退してからのボート部

 卒業後も艇庫には頻繁に行っていた。当時はOB組織というものがなく、四神会ができたのも最近である。部員が増えたことや、女子部員が入ったこと、女子マネージャーがご飯を作っていることに驚いている。今のボート部に言いたいことは特になく、本当にただただよくやっていると思うばかりである。レースはいつもわくわくしながら見ている。 自分にとってボート部とは自分の分身のような存在である。

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